大震災のあと

3月11日午後2時46分  この時間はとても忘れる事の出来ない時間になりました。

突然の大きな揺れにたまたま一緒に居た娘と共に思わず裸足で二人で庭に出ていました。
少し揺れが収まったので前の家の老夫婦のお宅の様子を見に行くとご主人は立ち上がれないで
少し過呼吸の状態になっていました。以前脳溢血で倒れているご主人にはちょっと
自分を維持できる状態ではなかったようで、背中をさすってゆっくり落ち着いて呼吸するように指示し
しかし、断続的に訪れる大きな揺れに中々ご主人も起き上がれないでいる様子でしたが、奥さんはかなり落ちついて
いましたので、お宅の灯油タンクが横倒しになっている事を報告。

少し落ち着いたので娘にすぐ保育所に行って孫達の確認とすぐ実家に戻る様に指示。

その日から総勢9人の所帯で約二週間。(もう一人の娘一家4人も)


落ちついて日が過ぎて来るとその破壊の威力の凄さに言葉も失っていきました。
ここ、白河でも大きな崖崩れがあって12人の行方不明者が出ていました。
村の中も瓦屋根の家々の無惨な様子や破壊された道路の様子。
家の中から見えるニュータウンにある傾いた家が怖い。

寸断された道路と動かなくなった鉄道。

ニュースの中のあまりにも悲惨な被災地や被災者の様子

全てが予測を超えたところにあった。
加えて福島原発の不安が日に日によぎって行く。
しかし、過酷な仕事に就かなければ行けない社員や消防隊員や自衛隊の方々。
東電への非難もあったが被爆の恐怖と共に戦っている大勢の関係者をまず思いやらなければいけない。
この努力があるから過去の悲惨な原発事故のようになっていないのだからまず、賞賛すべきだろう。

驚いたのは
被災者をサポートするボランテイアの立ち上がりの早さでした。
スポーツ界、芸能界、有名人のサポートの早さ、多くの国からの早い協力の申し出。
日本と関係の深い国々からのサポート。特にちょっと前に地震の被害のあったNZからの申し出には
まだ傷の癒えない時の中にある他国へのサポートには頭が下がる思いだ。


東日本大震災から約20日
様々な問題が出て来たけれど、第一は被災地の復興と被災者の日常を取り戻す事。
福島原発の復旧の問題。放射能の問題。農作物への影響
しかし、膨大な時間が必要なのはあきらか。

毎日、朝早くから自衛隊のヘリコプターの飛ぶ音
ここはどうやら空の通り道なのだろう・・・
音を聞く度に「どうぞ、早く被災者の方々の助けになって上げて下さい」と祈るばかり。

自分の薬の確保にも苦慮していたけれど近くのクリニックで一ヶ月分の確保は出来た。
家族9人が無事で常に一緒にいられたのは本当に良かった。
毎日の食料の確保とガソリンの確保には苦慮したけれど
どうにかそれも段々に改善されてきたようだ。

3月も「台所通信」を発行する事ができた。

普通の日常を過ごせる幸せをかみしめる。
こんな事もできない人々があまりにも多く自分はこんな事をしていていいのだろうか?と思う日々。

想定の出来なかった出来事だったあまりのも大きな、大きな痛みにどうしたらいいのだろうか?

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